1998年、秋〜2001年。記録。長いです。
19歳、誕生月の前月〜20歳。
【当時の内科通院前に書いた主観メモより】※イタリック書体は別紙からの追記。
“事件“翌日から──
声が耳につく(当日言われたことが繰り返し聴こえてしばらく止まらない)。
学校の講義中など、集中しなければならない時、いつも自分の半分くらいでそのことを追想している。
バスで学校に向かう中、緊張で胸が痛くなる(息苦しい)。
(どこかに“彼“がいるのではないかと考えてしまう)※同駅周辺での出来事であったため
学校に行かなければいけないのに張り紙の前で意味もなく立ち止まって、それきり動き出すきっかけが掴めなくなって固まっている。
駅を通り過ぎてどこまでも歩いていく。
(しばらく必死でやめようと自分に言い聞かすとやめられるので、大きな問題にはならない)
99年1月頃
当時の友人に相談しようとするが、話が通じない。責められ、呆れられる。
(2月──女性センターの相談室へ。『私の反応はごく普通のことだ』と初めて言われる)
3月頃 別の友人に取り持ってもらい再び話をするが、今度は前以上に責められて終わる。
(遅い私の誕生祝いという名目だった)
(怒りも青ざめる、と後日追記している)
言葉が通じないという感覚。
言っても理解されないという感覚が、事件の時と同じだと感じ、自分はそこにいない、という感覚に陥る。
何も感じない。
今日は楽しかったと、家では笑って話すも心は死んでいる。
(その日)
心臓が一日中ずっとおかしく、音が耳につく(現在では慣れてしまった状態)。
目が冴えていて眠れない。一点を見つめてじっと耐える。
その日以降、前にも増してそのことに苦しめられるようになる。その日の怒りが事件当時のものと結びつき、火に油。
そのことを他の友人に話すが、友人はその友達の気持ちもわかるような気がすると言う。
(二人は知らない人同士)
逆に「友達の気持ち」を説かれる。友達は、知らない人ではなく自分に相談して欲しかっったのでは、等。(相談はしたのだが事件前、友人には話題ごと話を逸らされた)
過去のことを例に挙げて、私がいかに分かりにくいか、私に説明する。
(その人とはたまに会う文通友達で、過去に家に遊びにいく約束をした際に急に怖くなって行けなくなってしまい、電話をするのも緊張と恐怖でできなくて、当日届く手紙で行けない旨伝えたことがあり、そのことを言っていた。その際は親御さんにも迷惑をかけた)
「浸っている状態」と言われる。
冷静に努め、それを自分が承知していると言った上でもう一度伝えてみたけれど、今度は逆に、どう応えていいのかわからない、引きずられるのは怖い等と言われ、そこで中断。
怒りは雪だるまのように膨れ上がるけれど、もうそれをどこへ出したらよいのかわからず、出す気力もなくなる。理解を求める気持ちに徹底的にダメ出しされたよう。
このあたりから夜、こめかみのあたりが脈打っていて歯を食いしばって眠る。眠るまでが苦痛。
4月
専門学校を卒業
(女性センター、カウンセラーさんについて行き区を移動)
6月
悲鳴の幻聴(声というよりは言葉、『あー』。自分の声と知っている)
「ない」感覚。
背中の痛み(左胸から背中を貫くような)。
7月
言葉にできない、という無力感。
本(友人がミステリが好きそうと貸してくれた『永遠の仔』)を読んでいてはじめて「あのこと」で泣く。
夏頃
食べると心臓の鼓動が耳につくことがある。ことに気づく。
弱くて速い。
気持ちが悪くなったり、そこまでいかなくても気になり、沈みがちになる。
家事をし、時々出掛け、半日は家で過ごすような日々。
集中力が低下して、テレビも本も辛くなる。
じっとしていることが耐え難い。
いつも時間が経つことを気にしている。
書くことに集中する。
主に怒り。そして日々感じたことを書きまとめることでようやく実感する。
(けれど創造、想像することは苦痛で、できなくなる。それまで苦もなく書いていた物語を、つくることできなくなる)
段々、外へ出ることに勇気がいるようになってくる。「外へ出る」ことを意識するようになる。
人といてもあまり楽しめない。暗い顔をしている。笑いはするけれど、普段の自分でいられないという罪悪感が色濃い。
秋、冬
何をしていたかあまり印象にない。
21歳頃、頭がぼーっとすること、しびれるようなこと、増加。
10月、一年経過
11月(21歳)
事件に関する「怖い」という感覚をときどき感じる。
相談室から家へ帰る間の、強い「心細い」感じ。
11日。T先生にいろいろお話を聞いてもらう。
私は赤い風船をすぐ手放してしまう、というたとえ話。「歌う船」「火星年代記」「博物誌」お薦め下さる。
12月
「かちりと何かが合って、頭のすっきりするときがほんのときどきある程度」
無感覚──怒りを思い出す──無感覚
(ドラマ『砂の上の恋人たち』終)
(欄外:2000年1月6日 ドグマチール50mg、デパス0.5mg かかりつけ医の内科にて。1月中は通っていた模様)
2000年
1月
かかりつけ内科へ頭のしびれを訴える。
初めて服薬をする。
1月中で辞めた模様。
2月
自分への殺意(意識のみ、行動はしない)
すべて無駄だという感じ、無力感、むなしさ
3月
まだ鼓動の不安定(慣れはじめている)
「死にたくない」という記述
相談室、一人目のカウンセラーとお別れ(三人目まで継続する)
春
バイトを始める。
日々の感覚が狂っていることを強く感じはじめる。
毎日会う人に、はじめて会うような違和感を感じる。鏡に映る自分の顔に違和感を覚える。
日々にスラッシュの記号が入っているような感覚。すれすれのところに立っている感じ。
花の色がとてもきれいに思える。
99年には花の色のきれいさも、この世の終わりの暗示のように受け取り、風は自分の中を吹き抜けていくというより、自分にあいた風穴を通っていくように、身体感覚も心許なかった。けれどその年(2000年)は、花や緑の、春を迎えた力強さになぐさめられる。
6月
自分の実感、症状、すべて嘘ではと感じる。
夏
頭のしびれが、押さえつけられるような感じに重くなってきていたので、何度目になるか、検査を受けたいと母に訴える。※保険証は当時1世帯1枚で、簡単に持ち出せなかった。
バイトを始めたので自分でお金も出せるので、今度通らなければ自分で行く手はず。
8月(母の許諾範囲内で脳神経外科へ)
結局自分で病院に電話。
バイト中、事件に関する悪い想像が止まらなくなること増える。夏の暑さが誘発か(当時酒で潰されており主観的に非常に暑く息苦しかった)。
バイト中、妄想の過熱のなか、事件当日の幻を見る(横断歩道を自転車で走行中に、鏡張りの天井に映っている自分と加害者を見る)。
その頃には事件のことからはじまって友人2人のことなど、目まぐるしい考えが止まらなくなる。終始そのことを(どこかで)考えていて、気を抜くと苦しくなるのでいつも緊張している。
(いつも緊張していたと気がつくようになる。少しずつだけれども、本当に気を抜いたり、落ち着く時間を捉えられるようになる。そのため逆に、症状が重く感じられる)
何度か、事件当日に放り込まれるように思い出し、身体反応がそちらのほうにとらわれる状態になる。“彼“の声や存在感など、思い出そうとしても薄っぺらでかすみのようだったのが、生々しく、そこにあるように感じる。
けれどその状態により目に見える形でパニックになったりはしないので、気のせい、とか自分で作り上げているのだなどと考え、あまり重く考えないように「努力」してしまう。
記憶は「向こう」からやってくるよう。
幼い頃のことをよく思い出す。
「懐かしい」という感覚をよく持つ。
疲れていると、半分夢を見ているような状態によくなる。白昼夢のよう。
緊張するとあらぬほうへ考えがそれていってしまったり、ぼーっとしたり、夢を見たりする。
バイト中、自転車を漕いでいるときにつらいことを思い出し、ふらふらする。
足に力がうまく入らなくなる(酷い日はバイトを早引けし脳神経外科の医師が鎮静剤を打ってくれて治まる。家族には言わない)。
まぶしい。
顔を上げるのが辛くなる。
しばらくすると治るので、バイトは問題なく続行。
記憶のほうに、身体が反応しやすくなっている。
秋(22歳)
涼しくなるのと同時に、たえまない想い起こしは減ってくる。
空は高くて空気も澄んで、身体的に楽になる。
それでも何度か記憶の幻を見る。
頭がカーッとして、3、4時間はつらい。
そのあと2、3日はぼんやりする。
(感情、感覚が麻痺したよな感じ)
9月
「しにたい」という言葉回る。
にくしみ
(相談室、二人目の方とお別れ)
10月(2年経過)
友人の一人が謝ってくれるものの(初めに相談した人)私の状況はいまいち理解できない様子。
(憎んでいるのは愛しているからだという話をして帰って行くが、それは彼女と親族のことである)
私も説明はしない。
また、もう一人(三人目の相談者)の友人にははっきり「嫌い」と言われ、縁が切れる。
理解してほしいと思う気持ちがもう、彼女たちに向かわなくなったために、何かが終わりはじめる。方向が変わりはじめる。
(友人と一時的に再会後、当時ある作家さんの掲示板へ頻繁に遊びに行っていた。イベントなどにも遊びに行く)
すべて絵空事の感覚、あり。
相談室で一時的にしゃべれなくなる。
11月(22歳)
大事な人が増えていく。同時に知っている人を「誰だろう」と思う一瞬、多発。
離人症についての本を読む。
12月
「感じない怖さ」
冬
特に変化なし
2001年
春
激しい感情のフタがあくことをくりかえしながら全体的に症状は落ち着いていく。
5月
三人目の絵を描く友人からの謝罪と自分についての説明などの最後通告。ひと月ばかり立ち直れず毎日本を読み続ける。
6月
母の発病(膠原病)
7月
熱を出したりする
夏(現在)←当時
現在ある症状
・頭がしびれるような感じ。(口の天井あたりまでぼーっとする)
・頭の左側が詰まっているような感じ。
ほんのときどき
視覚や聴覚が過敏になる。
不安感や恐怖感が高まり、何かを見そうな気がする。
怖いことを思い出しそうな気がする。
時々、98年の秋のあの日にいるようにまざまざと思い出す、見ることがある。
(思い出しているのか、作っているのかわからない)
(普段その時のことを考えても何とも思わない)
似たような状況になって、バイト中だと、足がうまく動かなくなったり立ち止まったりする。
たぶん意識が明晰じゃなくなるため。
白昼夢を見る。これも上のような感じ。
人と話していても間があくと、まったく関係のない脈絡のないことを考え、そちらに流れていくのを、止められない。
またほとんど半分夢を見いている。
眠っていないので居眠りとはちがう。
ただ意識の水準が落ちる。
・心臓がどきどきしたり、息苦しくなる。
・速い呼吸が止められなくなる。
(大きく浅く速く息をする状態になるけれど苦しさはあまり感じない。傍観している)
ときどき
最近は落ち着いていて、忘れたころにやってくるので、おさまるとまた何でもないやと思うことにしている。のでつい人に言わない。
説明すると悲惨な感じになってしまうので、私自身はあまり悲惨じゃなくて、これは普段のことなので、つきあっていきながらなくなるのを待つしかないので、人に「取り返しのつかない悲惨な感じ」を与えるのは嫌で、つい説明しなくなる。
下痢などしやすくなる。手や顔がのぼせる。
10月(3年経過)
下旬
かかりつけの内科医師に頼み、精神科を紹介して頂く。
トレドミン15mg ソラナックス0.4mg からはじまる。
11月(23歳)
2月現在(当時)ある症状
鼓動の不安定感。「思い出す」ことへの恐さ。
言葉が回る(自責の念)
ぼーっとする。
意志と体がうまく通らない感覚。
無感覚。
カーッとしたり、寒気がする。
それでもだいぶ落ち着いてきている。
(以上、2001年当時までの記録)
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追記
常に回復と落差を意識しており、前向きに生きようとしている。
総じて感覚的な症状を感覚的に描写しているので、ある医師には抽象的でよくわからない、で一刀両断されました。
上の初期の内容をかかりつけ医の先生が読んで下さり、病気の母には内緒にしておいて下さいと約束をした後、先生が院内の待合をずっと行ったり来たりして混乱を鎮めていたのがとても印象に残っている。それは私の表現できなかった私だったかもしれない。